地図で見るハノイ近代史

18世紀のハノイ


昇龍城(タンロン城)や西湖など、今でも伝わる文字があります。
チェック柄は城壁を示し、川沿い、さらに城内にも何重にも壁がありました。

1873年のハノイ

1873年フランスの攻撃を受けたハノイ。
翌年には租借地の開設を認め、フランス人の入植が始まります。
そのときに作成された地図です。ハノイのタンロン城を囲むようにギザギザの城塞が確認できます。
これは、フエの城塞と同じくヴォーバン城塞を見本に造られた星型要塞です。4隅が掩郭(えんかく)と呼ばれるひし形になっているのが特徴です。

1885年のハノイ

1884年、ベトナム全土がフランスの植民地となります。
その翌年に作成された地図です。このときは、まだハノイの城塞が残っています。
1887年には、カンボジア・ラオスを含めた仏領インドシナ連邦が成立します。

1911年のハノイ

1894年からハノイ城塞の取壊しがはじまったため、この地図に城塞の姿はありません。
1907年にはハノイ総督府(現大統領府)が完成し、現在バーディン広場と呼ばれるエリアが政治の中心となります。

なお、1902年紅河に橋がかかりました。
当時のインドシナ総督ポール・ドゥメールに因んで、ドゥメール橋と呼ばれていました。
現在は、ロンビエン橋として歴史をつなぐランドマークとして愛されている橋です。

1936年のハノイ

バーディン広場あたりの整備が進み、ヨーロッパらしい幾何学的な都市計画が形になってきました。
ハノイの人口は増え続け、特にバーディン広場より東側の開発が進みます。
1873年の地図で、ハノイ旧市街の場所には小さい湖がありましたが、このときには湖がなくなり36通り出来上がっています。

1950年のハノイ

第二次世界大戦終結後、ベトナム民主共和国(北ベトナム)となったハノイ。
しかし、フランスとのインドシナ戦争は1954年まで続きます。
さらに1960年代に入るとベトナム戦争へと突入していきます。
北爆と言われたアメリカ軍のハノイへ爆弾投下は、第二次世界大戦のときよりも多かったそうです。
詳しくみる▶アメリカがベトナム戦争で負けた理由と各国の被害状況

東京大空襲や原爆の時もそうでしたが、アメリカ軍は軍事施設だけを狙わずに、民間人も関係なく無差別に爆弾を落としまくります。よく北ベトナムは耐え抜いたものです。

ハノイは比較的建築が遺っていますが、最も激しい戦場になったベトナム中部では多くの貴重な建築が失われました。
クアンナム省 チャンパ遺跡の最高傑作の建築 アメリカの爆撃で消滅した【塔A1】
【世界遺産】ベトナム戦争時のフエ王宮写真集

1960年以降のハノイ

1961年ハノイの人口は91万人、面積は586.2km2

2008年ハノイの人口は623万人、面積は3344.7km2になりました。

さらに2019年の統計ですと、ハノイ市の人口は805万人となっています。
ハノイは中国統治時代(北属)からの歴史ある建築を残し、フランス領時代のコロニアル建築が立ち並びヨーロッパのような雰囲気もあります。
中国・フランス・アメリカと外国に苦しめられてきた歴史を持ちますが、現在のハノイはそれを乗り越えてベトナムの首都として、順調に経済発展しつつあります。そして河と湖に囲まれて、自然と建築が共存する魅力的な街になりました。

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チャンパ建築

 

ベトナム紙幣の建築

 

ドンコイ通りの建築

 

バーディン広場周辺の建築

 

ホアンキエム湖周辺のコロニアル建築

 

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