ベトナム建築の特徴と分類

「ベトナム建築」といったらあなたはどんな建築を想像しますか?
ハノイ市やホーチミン市の大聖堂やオペラハウスなどいわゆるコロニアル建築でしょうか。それともハノイ市の文廟やフエの王宮など中華風の建築様式でしょうか。それともハノイ旧市街にみられるような、洋風と中華風の建物が混ざり混沌とした町並みでしょうか。
このように、人によってイメージが異なってしまう「ベトナム建築」とは、なんとも抽象的な建築カテゴリーです。
日本建築なら、歴史とともに高床式住宅から、寝殿造り、書院造り、茶室のような数寄屋造りなどの経緯があり、しかも木造建築という一貫した共通した構造となっています。日本建築は、年代ごとに大陸から入ってくる建築技術に影響を受けているものの、近代化するまでの日本建築は異物が入り込むことはありませんでした。それは日本が島国だったゆえだったからです。

しかし、ベトナム建築はどうでしょうか。なんとも曖昧なイメージです。
理由としては、ベトナムは2つの文明の交差点として位置していたためと思われます。
一回目は、中華文明とインド文明の交差点。
二回目は、東洋文明と西洋文明の交差点
交差点であるがゆえに、様式の異なる建築が混在していたり、その結果折衷しているのがベトナム建築の特徴ともいえます。

ここでは、異なる文明の交差点としてのベトナム建築をみながら、ベトナム建築の特徴をみて、分類していきます。

中華文明とインド文明の交差点としてのベトナム

ハノイの文廟(儒教の祖孔子を祀った廟)とミーソン遺跡(インド文明の国チャンパの遺跡)


ベトナムという国は、非常に微妙な位置にあります。地理的にみると中華文明とインド文明の境目です。中華文明の辺境でもあり、インド文明の辺境でもあります。
ベトナムは約1000年中国の支配下にあったため、北属時代のベトナムの版図(現在のベトナム北部)には多くの中華様式の建築が残っています。これらをみてベトナム的だと思う方は多いでしょう。
ベトナムの隣国ラオスやカンボジアはインド文明の影響を色濃く受けた国です。現在のベトナム中部にあったチャンパ王国も同様にインド文明を元にする国でしたし、かつてサイゴンと呼ばれた、いまのホーチミン市は元々はカンボジアの領土でプレイノコールと呼ばれた小さな村でした。

日本人がなんとなく想像する「東南アジア」のイメージは、タイやカンボジアで観られるヒンドゥー教や上座部仏教の影響を受けた文化が具現化されたものではないでしょうか。具体的には三角錐のストゥーパの建築。ゾウの刺繍が入った雑貨。座禅を組んだブッタの絵。お香など。これはインドから東へ伝ったインド文明と東南アジアの土着の文化が混ざり合って生まれたものです。

ベトナム北部では、中国建築の影響が色濃いですが、ベトナム中部そしてホーチミン市のある南部へ下るとその影響も薄れてきます。ベトナム中部も南部も、元々はインド文明を元にした国家であるチャンパ王国とカンボジアの領土でした。ベトナム中部に存在したチャンパ王国の最盛期には、カンボジアのアンコール・ワットやベトナムのハノイへ攻め込み占領したほどの国力がありました。ベトナム中部にはミーソン遺跡をはじめ、多くのチャンパ建築が遺っています。

現在のホーチミン市を含めベトナム南部はカンボジアの領土ではありましたが、メコンデルタはもちろんいまのホーチミン市がある場所も森の中に小さな村がある程度でした。カンボジアにとっては辺境の地であり、カンボジアの遺跡もほとんどありません。カンボジアにとってはそれほど需要な地域ではなかったのか、北から南下してきたベトナムに国土を奪われてしまいます。

アンコール時代、東南アジアでは最強を誇ったカンボジアですが、17世紀以降の国力は弱まり、西はタイ(シャム)東はベトナムにより領土を削られていきます。特に18世紀以降のベトナムは、東南アジアではかなりの強国となっていました。もしフランスの植民地にならなかったら、ラオスとカンボジアはベトナムによりさらに領土を削り取られていた可能性が高いです。

と、ここまで東南アジア史をみて来ました。
上の図を見ていただくとわかるように、フランスの入植以前は、ベトナムの国土のうち、北部は中華文明、中部と南部はインド文明の国を侵略してベトナム化したことがわかります。

東洋文明と西洋文明の交差点

エルネスト・エブラールによるインドシナ様式は、ベトナムの伝統と西洋建築の出会いから生まれた。

東南アジアでは飛ぶ鳥を落とす勢いで領土を拡大していたベトナムですが、グエン氏同士の戦いでフランスの介入を許してしまいます。ベトナム最後の王朝グエン朝の初代皇帝ザーロン帝は、フランスの援助によりタイソングエン氏より政権を奪い返します。これがフランスの植民地支配のきっかけになってしまいます。

フランスは、まずサイゴンを奪いコーチシナとしました。コーチシナを起点にベトナムだけでなく、ラオスとカンボジアまでを支配下に収めて、仏領インドシナを植民地とします。東南アジアではタイ(シャム)だけが独立国として植民地支配を免れましたが、理由としてはイギリス領ビルマと仏領インドシナの緩衝地帯になったためと言われています。

東南アジアでは、シャム(タイ)だけが植民地化されなかった

ベトナム最後の王朝、グエン朝はフエに置かれましたが、あくまでも象徴としての王朝でした。
インドシナ総督府はハノイに置かれたため、ハノイが西洋文明の入り口となります。今でも多くのコロニアル建築がハノイに遺っています。コロニアル建築といえば聞こえはいいですが、日本語に直せば植民地建築です。植民地支配には虫酸が走ります。

東南アジアにおいてフランスは植民地支配に出遅れていました。仏領インドシナをフランスの植民地としての富と権力を国内外に見せつけるため、都市計画に力を入れます。特に総督府の置かれたハノイで、最初に建築家として大きな仕事をしたのがエルネスト・エブラールです。エブラールは、ベトナム独特の建築工法を研究しました。フランスの建築技術とベトナム独特の意匠と工法を混ぜ合わせ、インドシナ様式と呼ばれる当地に適した新しい建築を提唱しました。

フランスのインドシナにおける建築にかける意気込みは、学校設立にも現れています。パリの国立美術学校を「エコール・デ・ボザール」と呼びますが、その分校「エコール・デ・ボザール・インドシナ」まで設立、その後卒業生が仏領インドシナの建築界において活躍していきます。

ベトナムの近代建築

touitsukaido
1966に建てられた統一会堂

第二次世界大戦後、ベトナムの近代のほとんどは、ベトナム戦争に費やされてしまいます。
アメリカの傀儡政権であった南ベトナムでは、当時の建築ものこっています。代表的なのがベトナム人建築家のゴー・ベト・トゥ(Ngô Viết Thụ)に設計された統一会堂です。
一方、北ベトナム側では北爆などでの被害が大きく、資金もなかったため近代建築で目立つものはあまりありません。

むしろベトナム戦争中は、フエ王宮やミーソン遺跡が戦場となったため、爆撃を受けて多くの歴史的建築が失われてしまいました。ベトナム戦争終戦後も、ドイモイ政策がはじまるまでベトナムは経済的な余裕がなかった状況です。

ベトナムの現代建築

ヴォチョンギア設計 風と水のカフェ


筆者が初めてホーチミン市に訪れたのが2007年。当時はまだ高層ビルが少ない印象でした。
2010年以降、新しいビルが次々と建ち始めます。
また、ベトナム人建築家として日本人にもよく知られているのがヴォチョンギアです。竹や緑化建築を特徴とするヴォチョンギアが現代ベトナム建築の流れを作りました。ベトナムでは、地震がほとんどないため日本と比べてデザインの自由度が高いです。特にアーチやドームなどを組積造り再現するのが得意です。そんな特徴を活かしたデザインで新しいベトナム建築家も活躍しています。
2010年くらいから、日本人の建築家もベトナムに進出がはじまりました。日系企業の進出とともに建築家だけでなく、日系の組織設計事務所やゼネコン・デベロッパーもベトナムに進出しています。

地震が少ないベトナムでは、日本のように厳しい耐震設計を必要とされません。また、人件費も安く労働人口も多い。現在のベトナムは、建築界にとってのフロンティアです。新しいビルが次々に建っている状況です。

左:ドンコイ通り 右:ランドマーク81

ヴァナキュラー建築

ベトナムには54もの民族がありますが、90%がキン族です。残り10%は山岳地帯などに住む少数民族であり、民族それぞれの風習が残されています。
建築として有名なのが、バナール族の高床式住宅です。

ベトナム建築分類

ベトナムは、中華文明とインド文明の交差点であり、東洋文明と西洋文明の交差点である説明とともに、ここまで駆け足でベトナムの建築史をみてきました。
でも、難しいことを考えずとも、ハノイ市やホーチミン市の旧市街を歩けば、窓や鉄格子・ベランダなどヨーロッパらしい装飾の洋風建築が並んでいます。その中に突然、中華風の寺院が現れます。西洋と東洋の建築が混ざり合う光景、それがベトナム独特の町並みだったといえるのではないでしょうか。
そして、近年の著しい経済発展により、新しいビルが次々と立ち上がっています。ハノイ市やホーチミン市は、西洋と東洋と現代の建築が混ざり合う街となっています。

ここまでざっくりとベトナム建築史を追ってきましたが、当ブログでは筆者の独断と偏見でベトナム建築の特徴でカテゴリー分けしました。当ブログをご覧の際に参考ください。

寺院建築

中華から伝わりベトナム化した木造建築の寺院もありますが、最近の寺院は鉄筋コンクリート造の疑似木造建築さらに高層化が進んでいます。
▶ベトナムの寺院建築をみる

木造建築

少数民族のヴァナキュラー建築はもちろん、田舎へいくと掘っ立て小屋のような木造建築が多かったですが、最近は建て替えの際に組積建築に変わっていく住宅が多いです。
ベトナムは日本と違って、針葉樹林が少ないため、建材として使われる木材も少なく、木造建築は減少傾向にあります。現存する木造建築はなんとか保存してほしいものです。
▶ベトナムの木造建築をみる

教会建築

フランスは植民地時代に、キリスト教布教のために多くの教会を建てました。
ハノイ市でもホーチミン市でも大聖堂は、街で重要なランドマークとなっています。
▶ベトナムの教会建築をみる

コロニアル建築

フランス植民地時代に建てられた洋風の建築です。
コロニアル建築が並ぶ通りは、ヨーロッパに来たような感覚になります。
ただし、植民地支配自体はクソです。
▶ベトナムのコロニアル建築をみる

都城建築

フエ王宮 午門

ハノイ市やフエは、フランスによって要塞都市として改造されました。
現在でも一部その遺構がのこっています。
フエの街はヴォーバン城塞を参考にして、ギザギザの城塞で囲まれています。
▶ベトナムの都城建築をみる

近代建築

第二次世界大戦後〜ベトナム戦争終結までの建築を近代建築として分類しました。
▶ベトナムの近代建築をみる

現代建築

ベトナム戦争終結以降の建築を現代建築としています。
▶ベトナム現代建築をみる

チャンパ建築

ミーソン遺跡

かつてベトナム中部に君臨したインド文明を主体とした国家チャンパ王国の遺跡です。
▶チャンパ建築をみる

橋梁

ホイアンの日本橋やハノイのロンビエン橋など、ベトナムには有名な橋も多いです。
▶ベトナムの橋梁をみる

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Google Map List

Google Mapでつくったベトナム建築をカテゴリー分けして作ったリストです。
フォローしていただければいつでもGoogle Mapで確認できます。

 

チャンパ建築

 

ベトナム紙幣の建築

 

ドンコイ通りの建築

 

バーディン広場周辺の建築

 

ホアンキエム湖周辺のコロニアル建築

 

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